羽曳野市について

写真:羽曳野市についてイメージ

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ワインと
世界遺産のまち、
はびきの

大阪の中心部から電車で約45分。
羽曳野(はびきの)市は大阪府の南東部に位置し、河内平野の中にある
豊かな自然と歴史的名所に
恵まれた街です。

肥沃な大地を活かした果物造りも有名で、特に
ぶどうを元に作られる
「大阪ワイン」は特産品。
ここでしか味わえない逸品です。
また世界文化遺産に登録されている日本最大級の
古墳「応神天皇陵古墳」は
昔からの形のまま、
流れる時間が私たちを古代ロマンへと誘います。

ワインと世界遺産を楽しめるまち「はびきの」で
皆さまのお越しをお待ちしています。

羽曳野の位置を表したマップ

写真:白鳥陵古墳

写真:ぶどう

写真:ワイン樽

写真:神社

写真:古墳キッシュ

区切り線

羽曳野市の魅力

APPEAL#01

羽曳野市でつくる
「大阪ワイン」

写真:ぶどう畑

古くはデラウェア種のぶどうが全国で出荷量第1位にもなったことのある羽曳野市。 市内に点在するワイナリーでは地元産のぶどうを使用したワイン醸造が以前より行われています。

産地ならではのさまざまな品種を使った芳醇な味わいの大阪ワインをお楽しみいただけます。

写真:ワイン樽

写真:ワイン

区切り線

APPEAL#02

世界遺産に登録された
「百舌鳥・古市古墳群」

写真:応神天皇陵古墳

応神天皇陵古墳

また日本武尊(やまとたけるのみこと)の陵墓との伝承がある「白鳥陵古墳」も壮大な墳丘を日本遺産の竹内街道から眺めることができます。

写真:白鳥陵古墳

白鳥陵古墳

2019年7月6日、アゼルバイジャンの首都バクーで開催された第43回世界遺産委員会において「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産一覧表への記載が決定しました。

「百舌鳥・古市古墳群」は、百舌鳥エリアが堺市に、古市エリアが羽曳野市と藤井寺市にまたがる4km四方の範囲に広がる古墳群です。
古市古墳群では、現存する45基の古墳のうち26基の古墳が世界遺産の構成資産となりました。その中でも、日本最大級の巨大さを誇る「応神天皇陵古墳」は街の景色に溶け込みながらも古来より変わらないその姿を見せ、古代ロマンがあふれます。

2019年7月6日、アゼルバイジャンの首都バクーで開催された第43回世界遺産委員会において「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産一覧表への記載が決定しました。

「百舌鳥・古市古墳群」は、百舌鳥エリアが堺市に、古市エリアが羽曳野市と藤井寺市にまたがる4km四方の範囲に広がる古墳群です。
古市古墳群では、現存する45基の古墳のうち26基の古墳が世界遺産の構成資産となりました。その中でも、日本最大級の巨大さを誇る「応神天皇陵古墳」は街の景色に溶け込みながらも古来より変わらないその姿を見せ、古代ロマンがあふれます。

写真:応神天皇陵古墳

応神天皇陵古墳

また日本武尊(やまとたけるのみこと)の陵墓との伝承がある「白鳥陵古墳」も壮大な墳丘を日本遺産の竹内街道から眺めることができます。

写真:白鳥陵古墳

白鳥陵古墳

羽曳野の特産品

自然あふれる羽曳野市はフルーツやワインなどの
美味しい特産品がいっぱい!

  • アイコン:Specialty

    ワイン

    写真:ワイン

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    ブドウ

    写真:ブドウ

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    イチジク

    写真:イチジク

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    牛肉

    写真:牛肉

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    チョーヤ梅酒

    写真:チョーヤ梅酒

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    タケダハム

    写真:タケダハム

羽曳野市の歴史

羽曳野近辺に人が住みはじめたのは、今から約2万8千年前の旧石器時代です。

弥生時代には農業を基本とした集落が数多く形成され、古墳時代には全国でも最大の古墳群である「古市古墳群」が造営されるなど、大いに発展しました。

奈良時代に入ると、仏教文化の中心地帯となり難波宮から大和の飛鳥京を結ぶ竹内街道がつくられ、古市寺(西琳寺)・善正寺をはじめ、次々と寺院がつくられました。

11世紀の前期、源頼信が河内の国司に任ぜられて以来、頼義、義家までの3代が河内源氏として壺井の里に居住し、通法寺、壺井八幡宮を建てました。また、源頼朝は全国平定の記念として誉田八幡宮にみこし(国宝)を寄進しています。

その後、南河内の雄、楠木一族の勢力下にありましたが、一族没落後は、畠山氏が河内の守護として治めるようになりました。

南北朝以降、古市の高屋城を中心にいくたびも戦場となり、由緒ある神社や寺院などを失った羽曳野周辺は、戦国末期になると織田信長によって平定されました。

次いで、豊臣秀吉が治めることとなり、石田三成らにより検地が行われました。豊臣氏の滅亡後は、江戸幕府の支配地となり、小藩分立の厳しい政策がとられた一方で、河川の改修工事や新田開発も行われ、綿花の栽培も盛んになりました。江戸中期以降は、古市代官所が設けられ、竹内街道と東高野街道が交差する交通の要衝として発展、両替商「銀屋」や河内木綿などを運んで石川を上下した剣先舟の船着場が設けられるようになるなど、河内有数の繁盛ぶりを示していました。

明治22年、各村落が統合されて高鷲村、丹比村、埴生村、古市村、西浦村、駒ケ谷村となりました。明治31年には、柏原-富田林間に河陽鉄道が開通し、人口が増えた古市村は大正5年に町制を施行。大正12年には阿部野橋-道明寺間に大阪鉄道が開通して大阪市との結びつきが強まり、大阪市郊外住宅地としても発展、昭和30年には高鷲村も町制を施行しました。

昭和31年9月、町村合併促進法により、古市・高鷲・丹比・埴生・西浦・駒ケ谷の2町4村が合併して南大阪町が誕生。昭和34年1月15日に市制を施行して名称を羽曳野市としました。
羽曳野市ホームページより引用

写真:羽曳野市空撮

写真:源氏三代の墓

写真:近鉄電車

写真:夕日

観光モデルコース

ワインと世界遺産のまち「はびきの」を楽しめる
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