観光モデルコース 03 悠久の古墳ロード
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MODEL COURSE 03
所要時間4h
歩いて知る
いにしえのロマン
悠久の
古墳ロードコース
羽曳野市と藤井寺市で構成する「古市古墳群」の古墳を巡る、悠久の古墳ロードです。
季節によって四季折々の自然を楽しめる癒しのコース。
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大阪駅高鷲駅
- 10:10 雄略天皇陵古墳へ
- 10:40 津堂城山古墳を散策
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11:00
ガイダンス棟
まほらしろやまを見学 - 11:40 仲哀天皇陵古墳へ
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11:50
アイセル
シュラホールを見学 - 13:20 仁賢天皇陵古墳へ
- 13:30 峯ケ塚古墳へ
- 13:5 0 白鳥陵古墳へ
高鷲駅(羽曳野市)
徒歩で約10分
10:10
倭の五王の一人「武」として記される
雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の
陵墓を見学へ
雄略天皇陵古墳
雄略天皇の陵は「古事記」では「河内の多治比(たじひ)の高鸇(たかわし)にあり」と記されています。
現在は直径75mの島泉丸山古墳と一辺の長さ50mの島泉平塚古墳が前方後円形に整備され、「雄略天皇丹比高鷲原陵(ゆうりゃくてんのうたじひのたかわしのはらのみささぎ)」として治定されています。
徒歩で約25分
10:40
古市古墳群最古の大型前方後円墳
「津堂城山(つどうしろやま)古墳」へ
津堂城山古墳
4世紀後半に築造された古市古墳群では最も古い大型前方後円墳です。墳丘長は210mで、二重の濠と堤を持ちます。内濠から出土した水鳥形埴輪は国の重要文化財に指定されています。周囲は菜の花、花しょうぶ、コスモス、梅など季節の花が咲く藤井寺市民憩いの場所となっています。 藤井寺市観光協会公式サイト「ふじいでら観光WEB」より引用
徒歩で約1分
11:00
津堂城山古墳がよく分かる資料館
「まほらしろやま」へ
まほらしろやま
津堂城山古墳に近接するガイダンス施設、まほらしろやまでは、出土した埴輪や土器を展示し、イラストや写真でわかりやすく津堂城山古墳を解説しています。 藤井寺市観光協会公式サイト「ふじいでら観光WEB」より引用
徒歩で約30分
11:40
古市古墳群で
3番目に大きい大型前方後円墳
「仲哀天皇陵
(ちゅうあいてんのうりょう)古墳」
仲哀天皇陵古墳
墳丘長242mの大型前方後円墳で、幅の広い濠と幅の狭い堤を持ちます。堤などから出土した埴輪から五世紀末から六世紀初頭の築造と考えられています。後円部側に陪塚と考えられる鉢塚古墳があります。水が満ちる濠には、冬にマガモがやってきます。北西角から眺めると左端奥に小さくアイセルシュラホールが見え、南西側から眺めると、右手奥に霞む二上山も美しい。 藤井寺市観光協会公式サイト「ふじいでら観光WEB」より引用
徒歩で約7分
11:50
インパクト大の佇まい。
歴史展示ゾーンへGO!
「アイセル シュラホール」を見学へ
アイセル シュラホール
船形埴輪と修羅(しゅら)をモチーフとした建物の2階には、発掘された出土品を展示する歴史展示ゾーンがあります。歴史展示ゾーンでは、旧石器から古代の藤井寺の歴史を学べるほか、津堂城山古墳から出土した重要文化財の水鳥形埴輪や西墓山古墳の鉄器埋納施設などが見学できます。また、中国の西安で発見された遣唐留学生 井真成(いのまなり)墓誌のレプリカが展示されており、遣唐使について学ぶことができます。 藤井寺市観光協会公式サイト「ふじいでら観光WEB」より引用
徒歩で約20分
13:20
古市古墳群の中では
新しい時期の特徴を持つ
「仁賢天皇陵(にんけんてんのうりょう)
古墳」
(野中ボケ山古墳)
仁賢天皇陵古墳(ボケ山古墳)
野中ボケ山古墳(仁賢天皇埴生坂本陵)は墳丘長122メートルで、前方部を南西に向けた前方後円墳です。くびれ部のやや前方部寄りに造出しをもち、周囲には濠と堤をめぐらせています。
後円部の幅や高さに対して前方部のそれが大きく上回る平面形態を呈し、古市古墳群の中では新しい時期の特徴を見出すことができます。
墳丘の外表施設や内部施設は不明ですが、堤上から出土した円筒埴輪は6世紀前葉に比定されます。
1981年に前方部北西側外堤に接する斜面で実施された羽曳野市教育委員会による発掘調査では、二基の埴輪窯跡が検出されました。窯跡から出土した埴輪は堤上から出土したものとほとんど特徴に差がなく、窯跡の構築がボケ山古墳の築造を契機としてなされたことがわかりました。大王墓の築造に伴う埴輪の製作と供給のプロセスを明らかにする上で、極めて重要な成果といえます。
藤井寺市観光サイト「歴史ロマン薫るみどりのまち 藤井寺・道明寺物語」より引用
徒歩で約5分
13:30
墳丘の外側には二重の周濠を有する
「峯ヶ塚(みねがづか)古墳」
峯ケ塚古墳
古市古墳群の中では内部施設が発掘調査されている数少ない前方後円墳です。古墳の復元整備に伴う12回の発掘調査で多くの成果を上げました。墳丘は96メートルで二段に築かれており、外部施設としては南側以外は二重濠を有し、墓域は東西168メートル、南北148メートルを測ります。 平成3年(1991)の発掘調査で、後円部墳頂付近で新たに確認された石室からは、盗掘を受けていたものの多くの副葬品が発見されました。この中には、銀や鹿角製(ろっかくせい)などの装飾品を付けた大刀をはじめ、武器や武具、馬具など軍事的な副葬品や、装飾品となる金銅製(こんどうせい)の冠帽(かんぼう)や帯金具(おびかなぐ)、魚佩(ぎょはい)、銀製の垂飾りや花形飾り、ガラス玉や石製玉類などがあり、総数は3,500 点以上に及びます。 羽曳野市役所ホームページより引用
徒歩で約8分
13:50
羽曳野の由来にもなった白鳥伝説を持つ
「白鳥陵古墳」
白鳥陵古墳
日本武尊(やまとたけるのみこと)の陵墓との伝承がある「白鳥陵古墳」。周濠越しに墳丘を望めば雄大な景色が拡がります。また、古墳の北側を通る雰囲気ある街並みは日本最古の国道「竹内街道(たけのうちかいどう)」といわれ、日本遺産に登録された有名スポットです。